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Bio in English

ディレクターより

カラム・エフ・カーは今回「カラムの道に沿って 20. 9. 2015」(37分, 2018)と「カラムの道から青の洞門へ 」(46分, 2018)の二つの映像作品を展示するが、カラムの道とは、スコットランドの農民で詩人でもある一人の男が、1964年から10年をかけて荒野に築き上げた道のことで、青の洞門とは、菊池寛の短編の『恩讐の彼方に』でよく知られている江戸時代に九州耶馬溪の絶壁に禅海という坊さんが独りで掘り抜いたという伝説※が伝わるトンネルのことである。カーはこの二つの全く異なる時代、地域に築かれた道とトンネルが、権力や、共同体によってではなく、ただひたすら、地域住民に利することを目的に個人の力で敷設されたことに共通項を見出し、さらに背景にある思想なども考察しながら、アートという表現形式の中でこの二つの通路を時空を超えて繋げようと試みている。この二つの通路の建設は全く異なる時代と地域で行われ、直接の関連がないが故に、繋げることで却って普遍的な側面が浮かび上がり、人類学や哲学の考察の対象にもなリ得るのであろうが、カーはアーティストとしてそれぞれの現地を歩き、リサーチをし、またパフォーマンスを通し、自らの身体的な投機によって、考察と表現を深めている。 ‘投機’、に対応する英単語’speculation’には熟考、思索と言う意味があるが、アートにおける身体的な投機の可能性をカーはここで示している。
※(実際は禅海は托鉢で資金を集め石工を雇ったとも伝えられている。)

笠原みゆきも常に現場を歩き、身体的な体験を通して、我々人間が自然や環境に犯して来た過ちについて考察している。作品「善知鳥、嘆きの鳥」は能楽『善知鳥』をもとにしているが、猟師として生まれ、生業として殺生を運命付けられ、死後夜な夜な地獄で責め苦を受けている猟師の幽霊が主人公である。この猟師の罪は実は我々全てが負うべきもので、つまり「生き物は他の命を食べて生きている」という厳然たる事実をこの猟師が我々の身代わりとして最前列で引き受けたことで地獄の責を負うているのであれば、それを次に我々の全てがが引き継がなくてはならないことが、ここでは示唆されており、それは我々の多くが無関係を装っている現在の環境問題のメタファーにもなっている。
 2万4千百十年の展望」(2018)では実際にセラフィールド原子力複合施設跡、また沈黙の春」(2019)という作品では、昨年春「福島県富岡町の夜ノ森桜並木へ足を運び、桜の花びらをサンプリングし、それをインスタレーションでマッピングするなど、笠原は常に現場でのリサーチと活動を表現のコアに据えている。この桜の花びらをそれぞれの地点で一枚一枚そっと拾い集め器に収めて行くという所作は、笠原の身体的な自己投機’speculation’であろうが、我々が汚してしまった自然への謝罪の念とともに生き物への愛おしさがそこに映し出され、この放射能汚染と言う重大な過誤の検証と言う避けては通れないシビアな作業の中に、一縷の光を導き入れている気がする。

地場賢太郎

 

 

Director:Kentaro Chiba

Art Lab Akiba